アイルトン・セナ | Barたまブログ   ФAlfaromeo+Volvo+BuellФ

アイルトン・セナ

忘れもしない1994年サンマリノGP。今更、何を語っても無駄だが、有名人が無くなってショックというか時代を感じてしまったのは石原裕次郎以来だった、A・セナの事故。フジテレビがF1中継を始めた85~6年頃より前、タミヤのプラモで作っていたタイレルF34のF1マシン。F1に初めて触れたのは小3の頃でしょう。地上最速の乗り物と意識したときからヒーローだったA・セナの死。当時26歳くらいでしたから既に10年以上前の話ですが、当日のことは鮮烈に覚えています。長年ホンダとともにマクラーレンに在籍し、92年にホンダが撤退したあと残った非力なFordコスワース・エンジンで苦しみ苦しみ、やっと得た常勝ウイリアムズの新車FW16。しかし好敵手であり、93年にはアクティブ・サスペンションを装備したハイテク・マシン、ウイリアムズFW15で4度目のワールド・チャンピオンに輝いた宿敵A・プロストは引退、新たな才能であるM・シューマッハーとの戦いを前にセナのモチベーションは如何なるものだったのか。翌年、念願のFW16を手に入れるべく古巣ウイリアムズに移籍したNewsを見て期待した94年。開幕の母国ブラジルではセッティングが出ず逃げるシューミーを追いスピンしてリタイア。翌日本パシフィックGPは、ポールスタート後の1コーナーで多重クラッシュからリタイア。常勝ウイリアムズ+A・セナのコンビでストーブリーグではチャンプ確実と言われていた。それが連続リタイヤ。いや、レースラップではシューミーのベネトンが優位、とさえ噂されていた。天才も遂に新たな才能の後塵を拝すのかと。この時、ウイリアムズに席捲され不遇な92、93年を過ごし、最も勝利に渇望していたであろうセナのモチベーションは如何なるものだったのか。そして高速レイアウトからウイリアムズ有利と言われた第三戦サンマリノGPで悲劇は起きた。いや、起きてしまった。高速イモラ・サーキットのタンブレロ・コーナーで散った英雄は永遠になった。結果的には最悪の結末になってしまったけど、ナショナル・カラーのヘルメット、ロスマンズのブルーのスーツ、ライバルを失ったもの悲しい表情、この年のA・セナ全てのPhotoは悲しいくらいに美しい。

今も思う。セナがもし存命だったら今のF1はどうなっていただろう?
天上から今のF1を観て嘆き悲しんでいるのだろうか?