Barたまブログ   ФAlfaromeo+Volvo+BuellФ -43ページ目

バーレンGP開幕

F1 BAHRAIN GPが開幕しました。金曜日フリーはトヨタのサードドライバー、Rゾンタがトップタイムでしたが、第二セッションではブルツがTOP。

2005注目のフェラーリは新車F2005を投入。M・シューマッハーが5位ポジション。

007サトタクは初日12位。

toyして、今回優勝予想のヤルノ・トゥルーリは6位です。決勝は日曜日深夜。さて、どーなりますかね?

Alfaromeo 8C

素晴らしい。

いや、8Cが・・・。

8c

VOLVO V70

v703レガシィなどに代表される5ドアの2BOXタイプの車輌、何と呼んでますか?明確な差別はないものの、乗用車をワゴン、商用車をバンと呼ぶのが日本では一般的かと思います。メーカーによって呼称は異なり、例えばBMWはツーリング、アウディはアバント、メルセデスはステーション・ワゴン、ボルボはエステートなどど呼んでいます。これらの輸入車ワゴン・タイプで一番売れているのがボルボV70でしょう。レガシィなどがベンチマークして随分研究したんでしょうなぁ。現在ではボルボの装備も随分真似しています。ニッサンなど初代ステージア、現行ステージアとデビューするたび「プアマンズ・ボルボ」と揶揄されていました。ま、それだけボルボが大きな市場を開拓したということでしょう。デビュー直後からこのV70には関わっておりまして、愛着もありますので紹介したいと思います。
                             v702
現行V70がデビューしたのが2000年春でした。当初、ターボモデル2車種のみでスタートし約1年後にNAモデルが追加されました。当時、搭載されていたEgは855系V70からキャリーオーバーされた2,434ccの5気筒DOHCでライト・プレッシャー・ターボの組み合わせと、2,318ccのハイ・プレッシャー・ターボの2種類が存在しました。後に追加されたNAモデルは同じ2,434ccのセッティング違いで2種類設定がありました。現在もこの2.4リッターはNAモデルで継続使用されておりますが、ターボ・モデルはストロークを3.2mm増やして排気量が上がっています。この横置き直列エンジンは4・5・6気筒があるモジュラー・ユニットで、1気筒辺り468.8cc×気筒数で排気量が出ます。T-5が搭載しているハイプレ・ターボはボアが81mmとNAより2mm内径が小さくなっています。昨年追加されたS40・V50に搭載されている5気筒はコンパクト化のためV70系とは腰下は同じでも補記類の配置やサイズが大幅に異なりますので実質、違うエンジンです。
 
2001年モデルで追加されたNAの170psモデルには随分乗りました。最初、先代V70からの進化に驚いたのを覚えています。非常に人気のあった855系ですが、ATとブレーキのサーボ制御が首都高では最悪で随分ギクシャクしたものでした。ボディ剛性も当時としても高いとは言い難かった記憶があります。ただ適度にユルイのが美点でもありましたねぇ。その味は現在も新車で変えるC70カブリオレに乗ると良く分かります。飛ばすのがバカバカしくなる、ちゅう感じ。クルマが「まぁまぁ」と言うんですな。こりゃ、アルファも同じです。それが新型ときたら、メチャクチャ日本車っぽかったんですよねぇ。ブレーキも良く効くし曲がるしATもアイシン製になって随分緻密でしたし。運転席からサイドウインドー越しにボディを見ると、まぁブ厚いドア。もう壁って感じで凄い包まれた安心感がありましたね。当然、重いのですがブレーキが良くなったのと、余りノーズダイブしないので怖くはないんですねぇ。アンチ・ロール・バーも太かったですし。技術の進歩を感じました。その後、この01年モデルにしか乗っていなかったのですが、ふと02年の140psモデルに乗る機会がありました。ビビリましたね。1年しか経ってないのにもー凄い乗り易いの。30psも馬力低いのにトルクあるしボディ剛性も更に上がってましたね。シッカリ感が増したと言うか。とにかくボルボはどの車種も年度モデルの変更毎にどんどん良くなっていくのです。良く「最新のポルシェが最良のポルシェ」なんて言いますが、V70はまさにそれ。「最新のV70が最良のV70」です。現行の05年モデルなんぞ、「モール同色だけ?」なんて思ったら大間違いです。今回は更に大幅な改良してきてますから、また別のクルマになってしまいました。
 v70
V70のイイところ、そりゃナンと言っても「イヤ味なく乗れる」ことでしょうねぇ。「金持ち」というより「小金持ち」、「バブリー」というより「IT成金」みたいな。メルセデスのEとかBMWの5なぞではイヤ味があっても、V70とかアウディのA4アバント辺りだとOKなんでしょうなぁ。
面白い話がありまして、駆け出しのカメラマンが居て最初は仕事ないので国産のワゴン乗ってたそーです。まー業界厳しいですから下っ端仕事するワケですよ。延々、駐車場でブツ撮り(商品など小物の撮影)とか35mmで風景とか。まぁ、そーやって下積みを経て徐々に仕事が増えて行くんですよ。ま、実力買われたワケじゃなくて代理店に知り合い増えたからだけ、みたいな。駐車場でブツ撮りして上手いもへったくれもありませんからねぇ。ま、それでも骨身を削って働いて、ちょっとづつ収入も増えますわな。ふと、30代になってクルマでも買おうかと思うワケですよ。ここで国産とかメルセデスの300TEとか中古で買っちゃうと、その人一生そのままですな。50になってもブツ撮り、みたいな。じゃ、どうするか?。ボルボにするんですよ。カメラマンは撮影機材が多くて荷物が載らないと仕事にならないから、自然とワゴンとか1BOXになります。以前はレフ板(反射板。光を反射して露出を出す板)は段ボールとかハレパネに銀紙貼ってましたから嵩張るんですよね。こいつを平積み出来るのはボルボの965というワゴンだけでしたから、ちょっと年配のカメラマンには絶大な人気があるんですよ。これも知らないでメルセデスなんぞ乗ってると「小僧のくせに生意気なっ!」になってしまうんですな。これがボルボだとこー言われるんですよ。「○○もボルボに乗るよーになったか。仕事考えてやらねばならんな・・・・」なーんて。(実話です)
 
とまぁ、V70ちゅうのは確固たる地位を既に持っているワゴン、いや、エステートです。
 
 
 
 
つーことでスキルアップに買ってくださいねV70。                                        どっこいしょっと・・・・

バーレンをホームでやっつけヤルノが勝つ!?

開幕しました2005年のF1。第一戦は例年通りオーストラリアのアルバート・パーク・サーキットでした。今年は年間19戦も組まれてますから、見てる方は面白いですが利権で増えていくドロドロした裏舞台も面白いです。そのうち年間25戦とかなったりしてね。各チーム、ドライバー4~5人要るよーになるかもですね。毎年、開幕戦は様子見しながら限界付近探っていきますので、大抵リタイアして泥レースになるんですが、昨年オフのBARホンダが好調を持続したままシーズン2位で終えた実績があるよーに、今オフで絶好調だったルノーが優勝しました。しかも、ドライバーはアゴケツアロンソではなく、天才ジャン・カルロ・フィジケラ。セナ亡きあと、いわゆる天才はジャン・カルロ!と決めていたワイにとっては、2度目の優勝嬉しく思ってます。おめでたうジャン。

んで、肝心のBAR。チーム代表の大御所クレイグがチームを離れて、ゴタゴタ収まったかと思ったらジェンソンのウイリアムズ移籍問題でまたゴタゴタ。落ち着いたと思えば、サードドライバーのA・デビッドソン移籍問題とまーチームはギタギタでしたね。案の定、ホンダが資本比率UPで手綱を締めたつもりだったのでしょうが、ぎっちょんちょん。中途半端は否めないですね。よってBARは苦戦するでしょう2005年間違いなし。

さて、長年F1を見てきたカンを頼りに、事前にレース結果を予想してしまう今回の企画。第一回目は、4月3日決勝のバーレーンGPです。今回、フェラーリは新車F2005を投入するよーです。事前テストを協定無視でバシバシやってますが、シェイクダウンから日が浅い&フィオラノでのラップが新車のワリに速くない、ので今回はBest3辺りと判断。モントーヤも欠場するみたいです。サーキット・レイアウトから予想するに基本的にストレートをRのキツいコーナーで繋いだトラクション型のサーキットと思われます。砂漠の真ん中だしね。よってシャシー・バランス&トラクションに優れたルノー優勢。と言いたいところだが、直前テストでトヨタのR・ゾンタが滅法速かったので、ここわトヨタが優勝!!(多分、トゥルーリ)と予想します。サトタクは8位くらいが精一杯かもねぇ・・・。

中国製フェラーリ?!

アルファロメオの親会社はイタリアのフィアット社です。イタリア最大のコンツェルンにしてボルボと同じく巨大な企業体ですが、ここ10年ほどはイタリア国内の景気低迷やユーロ加入による通貨の影響で傾きかけています。イタリアの自動車メーカーはフィアットをはじめフェラーリ、アルファロメオ、マセラティ、ランチャ、ランボルギーニなどがありますが、このうちVWの資本参加を受けたランボ以外は全てフィアット傘下のブランドとなっています。フィアット傘下の自動車ビジネスで好調であったのはフェラーリのみで、他のブランドは軒並みシェアを落としていました。フィアットは業界再編に応じて資本提携先にGMを選択。資本提携とは言っても莫大な負債を抱えた自動車事業を身売りした形でした。当時は高級車であるフェラーリ以外は全てGM製シャシーとGM製腰下がベースになるのでは?アルファよ、またか?!とイタ車党は騒然となりましたが、このほど契約に不具合があるとの理由で資本提携が破棄されました。

ウチの親が03年にトリノへ旅行に行っていますが、当時トリノではフィアットの大幅なリストラ策が発表されており、大規模なデモが各地で頻発、観光バスがデモの大渋滞に巻き込まれ、徒歩で観光するハメに陥ってます。それほどイタリア国内に影響ある企業なんですな。

して、フィアットは赤字事業の自動車関連を身売りする相手を失います。今後、石油資源の枯渇で環境問題への取り組みは外せません。ハイブリッドなど次世代の技術を開発する余裕はフィアットにありませんので、どこかと提携するしか道は残っていません。ここで提携先に挙がったメーカーがなんと中国三大メーカーの一つ、「上海汽車」でした。

上海汽車は97年に設立された中国最大の中米合資企業で、中国国内向けにGMやVWとの合弁生産を行っています。現在、中国内でNo.1シェアはVWが持っており、型遅れのサンタナを安価に提供しており人気があります。ここ数年、活発にM&Aを繰り返しており昨年は韓国の双竜自動車を買収、一昨年は同じく大字自動車も買収しており、韓国内でオリジナルは現代自動車のみとなりました。その一方でイギリスのMGローバーGrpと業務提携を結んでおり、さらにトヨタと高級RV車生産(吉林省)の提携も進んでいるそうです。

このように現在の世界情勢を考えると、単独でフィアットが生き残れる可能性は少ないでしょうねぇ。となると提携先が必要ですが、まさか中国企業が第一候補となるとは思いもしませんでした。もし、この提携が実現したなら、問題になるのはフェラーリ株でしょう。仮にフェラーリを含まない提携とすると売却価格に大きく差が出ると予想されます。上海汽車としては今後の世界戦略を考えると壱からブランド構築するより、既に力のあるブランドを買収したほうが手っ取り早く安上がり。ブランド力のあるフェラーリは是非とも傘下に収めたいでしょう。だって、いざ欧州販売開始して例えばベルギーの購買者が広州自動車の製品と比較したとします。価格やサービス、品質は同じ。

「ん~上海と広州ねぇ、安いからどっちでもイイけど。おっ?上海ってF1のフェラーリのボディにロゴ貼ってあったよね?へっ?親会社なの?フェラーリの?じゃ、こっちの方がカッコいいからこっちにしよう。」

みたいな。

フェラーリはイタリア国民にとっての精神の象徴そのもの。誇りであり憧れであり、常にリスペクトされる対象である必要があります。このフェラーリを外国資本に売り渡してしまったら、イタリア国民はどーなるんでしょうか?先にイギリスの名門、ロータスが韓国KIAを通してマレーシアの企業に売却されました。クルマ好きで有名なイギリス国民は、当時既に衰退してしまった自動車事業にあきらめを感じていたように思います。BMWに買収されたローバー社が、ブランド力のあるMINIとLandroverを残し、他の乗用車部門を1ポンドで売却されたりしましたからねぇ。切り売りされて1ポンドじゃ、プライドはズタズタだったでしょう。これが、名門ロータス売却に繋がったよーな気がします。もー守る気力もなかったんでしょうなぁ。この辺りのイギリスと、今のイタリア、似ていると思うのはワイだけでしょうかねぇ?


OLIO FIATのロゴが入っただけで違和感あったのに、スクーデリア・フェラーリF2006(仮)のボディに「上海汽車」のマークが入る、なんてのは見たくないですねぇ。

F-14 Tomcat



F-14トムキャット。こりゃ永遠の憧れです。映画「トップガン」で一気に有名になりましたけど、乗り物マニア(つーかミニタリーマニア?)のワイにとっちゃぁ、もぉカッコいい通り越した存在。なにせ中ボーまで防大行って航空士官になってトムのドライバーになるの目指してましたからねぇ。#自衛隊にF-14なんて配備されとらんのに。まぁとにかく最初は可変後退翼ちゅうギミックにやられたワケですが、嵌ったのはベトナム戦争末期に当時最新鋭機として投入された時のスコードロン、VF-84ジョリーロジャースのハイビジ塗装機、これですよ。有名なドクロマークを黒の地色に白ヌキで垂直尾翼に塗装し、黄色のアクセント。これのカッコ良さちゃぁタマらんかったですわ。その後、機体が発見されないようにロービジ塗装が義務付けられ、派手な有彩色は禁止されちゃいまして、すっかりつまらなくなります。が、この機体がド派手なドラ猫は何時までたってもヒーローなワケです。とは言っても過剰な空戦能力はもはや必要なくなり、老朽化を理由に退役しとりまして、最早最後のスコードロンを残すのみとなってしまいました。日本の厚木基地に配備されていたブラックエーセスも最新のF-18スーパーホーネットに機種転換したばかり。もう実機を見る機会はないでしょうねぇ。日本の展示飛行を最後に行ったのは厚木基地のWINGS2000でしたが運良くこいつを間近で見れました。一生忘れないでしょう。



millitary2

ちょっと息抜き

テーマの広告とは関係ありませんが、前回の東モ、つまり「東京モーターショー」での1コマ。韓国のKIAブースでプレス日に撮影したものです。このショーNo.1は彼女っ!!今年も来るかな~?

レース活動 ~ その1



さて、趣味であるレース活動を少し。もともとダートラなどモータースポーツ好きだったワイ。古くは高校時代のバイクCBR400Fから始まり、ポケバイレースや原付レースを経て大学時代は4輪のダートラ&ジムカーナ。もーエンジン付いてる乗り物は何でも大好きで、戦車だろーが空母だろーがレシプロ戦闘機だろーがトムキャットだろーがスーパーカブだろーが、スロットル(アクセル)付いてれば何でもOK。セグウェイだった愛せます。そんなスピード大好きだった90年頃ですわ。某所の点滅信号の交差点でオフセット衝突を経験。これを機にこれ以上スピード求めると死ぬと思い立ち、オフロード4WDに一時移行します。都合、6年ほど富士の樹海やら志賀のスーパー林道やら自然破壊に目覚めまして、野山を駆け巡っておりました。しかし、失恋したのを契機にAlfaromeo145を購入した辺りから再びスピードの世界へ舞い戻ります。ですが、公道で無茶するのはこりごりだったので自然にサーキットへ向かいます。最初は走行会レベルでしたが、クルマをイジる度にスピードレンジが上がってゆきます。行き着いた先は、日本のヒストリックカー・レースでは草分け的なSCCJインタークラブレースでした。最初は走行会程度だったのですが、台数が揃い出すと同時にレース形式へと移行。一時は筑波サーキットで35台以上もグリッドに並ぶイベントとなっていました。(写真はその時のもの。ピットレーンの速度規制看板が見えるでしょうか?筑波走った方ならおおよその位置はお分かりかと思いますが、この更に後ろ、最終コーナーの出口のクリップである縁石付近までグリッドが埋まっていました)この辺りから、モダン・アルファを主体としたイベントが増え出します。が、様々な問題もはらんでいたのですが・・・・。

アイルトン・セナ

忘れもしない1994年サンマリノGP。今更、何を語っても無駄だが、有名人が無くなってショックというか時代を感じてしまったのは石原裕次郎以来だった、A・セナの事故。フジテレビがF1中継を始めた85~6年頃より前、タミヤのプラモで作っていたタイレルF34のF1マシン。F1に初めて触れたのは小3の頃でしょう。地上最速の乗り物と意識したときからヒーローだったA・セナの死。当時26歳くらいでしたから既に10年以上前の話ですが、当日のことは鮮烈に覚えています。長年ホンダとともにマクラーレンに在籍し、92年にホンダが撤退したあと残った非力なFordコスワース・エンジンで苦しみ苦しみ、やっと得た常勝ウイリアムズの新車FW16。しかし好敵手であり、93年にはアクティブ・サスペンションを装備したハイテク・マシン、ウイリアムズFW15で4度目のワールド・チャンピオンに輝いた宿敵A・プロストは引退、新たな才能であるM・シューマッハーとの戦いを前にセナのモチベーションは如何なるものだったのか。翌年、念願のFW16を手に入れるべく古巣ウイリアムズに移籍したNewsを見て期待した94年。開幕の母国ブラジルではセッティングが出ず逃げるシューミーを追いスピンしてリタイア。翌日本パシフィックGPは、ポールスタート後の1コーナーで多重クラッシュからリタイア。常勝ウイリアムズ+A・セナのコンビでストーブリーグではチャンプ確実と言われていた。それが連続リタイヤ。いや、レースラップではシューミーのベネトンが優位、とさえ噂されていた。天才も遂に新たな才能の後塵を拝すのかと。この時、ウイリアムズに席捲され不遇な92、93年を過ごし、最も勝利に渇望していたであろうセナのモチベーションは如何なるものだったのか。そして高速レイアウトからウイリアムズ有利と言われた第三戦サンマリノGPで悲劇は起きた。いや、起きてしまった。高速イモラ・サーキットのタンブレロ・コーナーで散った英雄は永遠になった。結果的には最悪の結末になってしまったけど、ナショナル・カラーのヘルメット、ロスマンズのブルーのスーツ、ライバルを失ったもの悲しい表情、この年のA・セナ全てのPhotoは悲しいくらいに美しい。

今も思う。セナがもし存命だったら今のF1はどうなっていただろう?
天上から今のF1を観て嘆き悲しんでいるのだろうか?

Buellとわ? ←つーかナンて読むんだ?

2ちゃんなどでは「ブエル」の愛称(?)で呼ばれるBuell。(ビューエル、と読みます)これも仕事絡みで知ったブランドの2輪メーカーです。

創始者はエリック・ビューエル。AMAなどのダート畑出のサンデー・レーサーだったよーです。ヤマハのTZでデイトナなぞにも出場するくらいマジにやっていたそーですが、K・ロバーツやR・マモラ、M・ボールドウィン(懐っ!)なんかが出場していたレースで実力差を痛感(つってもEgやフレームは自分で制作していたらしい)し、リーマン生活へ。その後、ハーレーダビッドソン社にエンジニアとして入社するも、好きなレースは続けていたよーです。その後いろいろあってレースを本格的にやりたくなったんでしょうなぁ。AMAのF750クラス向けに、イギリスはバートンモータース製2サイクルEgをベースにレーサーを制作します。これが「Buell」ブランドの第一号車RW750です。数台を量産するも、AMAがF750クラスをノーマル・ベースのレギュレーションに変更したため、1台しか売れませんでした。相当借金したでしょうに、エリックはその翌年にハーレーダビッドソンを退社。ビューエル・モーター社を設立します。その後、小さなファクトリーでHD製Vツインをベースに、運動性確保のため重量物を中心により低く配置するコンセプトでマシンを制作します。これがRR1000。ホンダCBR400であったよーなフレームも隠すフルカウル形状のこいつは、海外にも輸出され一応の成功を収めました。その後、HDのレーサーを手掛けつつ、エリック自身のコンセプトを生かした量産モデルを発表していきます。途中で経営が傾き、HD社の資本投入を受け、現在ではHD社傘下の企業となっています。まーもともとエンジニアですから経営のセンスは無かったんでしょう。ただ、現在の最新モデルに乗っても、変わらないのはこのエリックが持ち続けるコンセプト。「如何に乗って楽しいモデルを作るか」そういう人が代表やってるブランドです。(マイナーですけどね)

このテーマでは、Buellちゅうブランドを話題にしたことをUPしていこーと思います。因みに著者はX1が大好き。